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映画『零落』『郊外の鳥たち』について

  • 執筆者の写真: 昌親 谷
    昌親 谷
  • 2023年3月16日
  • 読了時間: 3分

 明日3月17日(金)および明後日3月18日(土)に公開される映画のうち、試写会で観ている『零落』と『郊外の鳥たち』について書いておきます(ただし、『郊外の鳥たち』に関しては、Facebookにすでに載せた文章に加筆したものを使います)。


 まず17日公開の『零落』について。これは、浅野いにおの漫画にほれ込んだ竹中直人が監督して映画化した作品。

 主人公は人気漫画家の深澤薫。長期連載が終わったこともあり、自堕落で鬱屈した日々を過ごすなか、たまたま出会ったちふゆという風俗嬢のうちに、まだ駆け出しの漫画家だったころの深澤の漫画を好きだといってくれた猫顔の少女の面影を見出す、といった物語。ひと昔前なら、私小説でよく書かれたような物語と言えるかもしれない。

 斎藤工が堕落への道をたどりつつある破滅型の漫画家を好演している。『麻雀放浪記2020』でもそうだったが、斎藤工はこうした一種の汚れ役が意外と似合うのかもしれない。ちふゆ役の趣里も、どこかミステリアスな雰囲気をうまく出している。

 原作の漫画もそうだが、物語は深澤が猫顔の少女のことを回想するところから始まる。その際、深澤のモノローグによって話が進んでいくのだが、少女(映画では玉城ティナが演じている)の顔を見せないままでの展開ということもあり、一種のモンタージュによる過去の描写となるのだが、この冒頭のシークェンスには映画的な躍動感がある。

 とはいえ、そうしたモンタージュの使用はこのシークェンスのみで、全体には手堅い演出で見せている。映画には、芸道ものというジャンルがあるが、この作品でも、深澤が漫画とはどうあるべきか問い直すような部分があるので、一種の芸道ものとも言えそうだ。その一方で、ちふゆとの奇妙な恋愛もからむことで、ちょっと変わった味わいの映画となっている。

 それにしても、竹中直人の監督作品には『無能の人』もあるわけで、彼は、自堕落とも言えるような生き方をする漫画家の話が好きだということになるのかもしれない。


 次に、18日公開の『郊外の鳥たち』(英語タイトル: SUBURBAN BIRDS)について。

 これは、中国第8世代(1980年代~1990年代生まれの世代)の監督のひとり、チウ・ション Sheng Qiuの作品。

 地盤沈下が進む中国の地方都市に地質調査にやってきた青年ハオの物語と、その都市の小学校に通う、やはりハオという名の少年やその仲間の物語が交錯する。青年ハオが、廃校となった小学校の机の中から少年ハオの日記を見つけて子供たちの話に移行するのだが、子供たちの話が過去で、大人たちの話が現在というわけではなく、青年ハオの落とした双眼鏡を少年たちが拾うというシーンもあり、時間関係は錯綜している。

 それでいて、子供たちのパートと大人たちのパートでは撮影の仕方がだいぶ違う。大人たちの物語の特に最初のほうでは、本来ならカット割りするところでズームやパンを使っていて、そういえばホン・サンスがこれに似たズームの使い方をするなと思いながら見ていたら、チウ・ション監督自身がホン・サンスの名前をインタヴューで挙げていた。

 両者の時間関係は曖昧であるとはいえ、子供たちの物語と大人たちの物語はそれぞれほぼ独立して展開していく。チウ・ション監督自身が説明するように、シーンがかなりシャッフされていて、全体の物語展開もリニアではない。

 測量器の望遠鏡から覗いた画面で始まり、ラストには双眼鏡で覗いた光景が出てくるのもおもしろい。

 それにしても、物語展開が単線的に整理されていないあたりは、同じ第8世代のビー・ガンに通じるところがあり――とはいっても、物語の錯綜ぶりはそれぞれ違うのだが――、観ていると、ぼくはどちらの場合もヌーヴォー・ロマンを連想してしまう。ヌーヴォー・ロマンの影響を受けているとは思えないので、こうした錯綜ぶりがどこから出てくるのか、興味深い。



 

 

 



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