アンデス山脈とサッカー——『雲と大地のはざまで』
- 昌親 谷

- 7 日前
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映画の冒頭から画面に映し出されるアンデス山脈の雄大な景色が印象的だ。その景色を背景に、少年がアルパカの放牧をおこなっている。そして、その遊牧地に接して広がる湖は豊かな水をたたえているが、その水が採掘会社の進出で汚染されつつある。要するに、自然と文明、伝統と進歩のあいだの軋みという昔ながらの問題が、この奥地の村にも生じてきているのである。
スペイン語ではなく、ペルーの公用語の一つであるケチュア語を話す人びとが住むアンデス山脈奥地の小さな村を舞台にした『雲と大地のはざまで』は、伝統的で穏やかな暮らしと、その暮らしが変化にさらされる過程を丹念に描いている。ドキュメンタリーを思わせるようなその精密な描写がこの映画の魅力だ。物語の舞台となるクスコで幼少期を過ごしたというフランコ・ガルシア・べセラ監督だからこそ描けた世界がそこにはある。
その一方で、伝統的な暮らしとそこに忍び寄る文明化の波といった対立自体は、よくある構図だとも言えるだろう。しかしそれが単なる構図の提示だけに終わらないのは、すでに述べた描写力に加え、主人公の少年フェリシアーノが、放牧をおこないながらラジオでサッカー中継を聴いているという設定だ。彼は、そこらの石を集めてきて選手に見立てて、ベル―・ナショナルチームのフォーメーションを再現したりもするし、放牧しているアルパカのなかでも特にかわいがっているロナウドの頭の毛を刈って、ナショナルチームのスター選手と同じ髪型に仕立てたりしている。そして彼は、村にはテレビがないため、試合を観るために町に行くことにもなる。ワールドカップに顕著なかたちで見てとれるように、サッカーもいまやビックビジネスとなっているが、そうしたかたちでサッカーが普及するからこそ、フェリシアーノのように放牧しながらラジオでサッカー中継を聞いたり、野原でボールを蹴ったりする少年も出てくるのだ。
文明化のひずみは描きつつも、この映画は、文明そのものを闇雲に否定しているわけではない。そのことは、たとえばアンデスの人びとにとっての守護精霊のような存在である「アウキ・タイタ」の描き方にも表れている。アウキ・タイタはごく間接的にしか姿を見せず、かつて日本の時代劇に登場した「大魔神」のように村人を助けてくれるわけではないのだ。自然か文明か、伝統か進歩か、そうした問いに対する有効な回答がすぐに出てくるわけではない。しかしべセラ監督は、フェリシアーノ少年をとおして、少なくとも、アルパカを放牧することとサッカーを愉しむことが二者択一とならない世界を夢見ようとしているのである。そしてフェリシアーノがいるからこそ、あのアンデス山脈の風景もわたしたちの眼に映るのである。
6月27日公開
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