今年は東日本大震災から10年ということで、新聞やテレビに多くの記事が載ったり番組が組まれたりした。当然、すべてを読んだり見たりしたわけではないが、家族や親しい人を失ったという証言などを読んだり聞いたりするたびに、胸を打たれる。しかし、それ以上に印象に残ったのは、川上弘美さんが『朝日新聞』に寄稿していた「生きている申し訳なさ」という文章だ(3月13日朝刊)。
川上さんの文章を読んでいて、ぼくは10年前の自分の心持ちを久しぶりに思い出した。ぼくの場合は、川上さんのように「生きている申し訳なさ」まで感じたというよりは、むしろどこまでも深い淵を覗き込んでいるような無力感にとらわれたと言ったほうがいいかもしれない。もちろんあのとき、東北へと向かいボランティア活動に従事した人が少なからずいたのも事実だ。自分にそうした行動力があり、家族のことを考える必要もあまりないのであれば、ボランティア活動に参加することで無力感はもしかすると軽減されたかもしれない。しかしあのときぼくは、それは違うのではないか、とも感じていた。もともと自分が、フランス文学などという、どう見ても役に立たないことを自分のやるべきこととして選んだ以上、いくら大災害が起きたからといって、急にボランティア活動など始めるのは、なにかお門違いではないか。
しかしその一方で、無力感は増すばかりだった。文学研究などという無駄なことをやり続けてきたのだからこそ、こういうときこそ少しでも文章でも書くべきなのではないかと思うのだが、そういう気持自体が無力感のなかに吞み込まれていく。それまで細々とやっていたTwitterもそのときにやめてしまった。もともと、短い文章を頻繁に書くというのはどう考えても自分に向いていないということもあったが、何を書くべきなのか、書いていいのか、どうにも途方に暮れていた。そうした途方に暮れた自分をさらけだすべきだったのかもしれないが、あのときはそれすらもなにか尊大な行為のように思えてしまっていた。
当時は思い至らなかったが、そうしたぼくの無力感は、川上さんの言う「生きている申し訳なさ」につながっていたのかもしれない。そして川上さんの文章は、その10年前のぼくの心持ちを思い出させてくれた。川上さんは「申し訳なさを直視すること」の難しさを語っている。ぼくのように10年前の心持ちをほぼ忘れてしまっていた者は、それこそそうした直視ができていないことになるが、川上さんの文章を読むことで、少しはあの無力感とそれゆえに感じた直視の必要性のようなことを思い出すことができる。文学は、あるいは文学を含めた芸術一般は、役に立たないものだし、無力だ。しかしそれにもかかわらず、あるいはむしろそれだからこそ、川上さんの文章のように、忘れていた何か大切なことを思い出させてくれる。失われていたものを蘇らせてくれる。それこそが、世界がいやおうなくさらけだす一種の無慈悲さを前にして、人間というひ弱な生き物が示すことのできるささやかな抵抗なのではないのだろうか。
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