『人はなぜラブレターを書くのか』
- 昌親 谷

- 5月16日
- 読了時間: 2分
公開されてから1か月近くが経った段階で観た作品だが、なるべく情報を入れないようにして映画館へ足を運んだ。
そのため、青春時代に実らなかった恋についての話なのだろうと見つづけていたところ、20年以上も前に好きだった相手に書いた手紙をめぐる展開の意外さに半ば不意を突かれ、さらに、大きな事故がからんだり、ボクシングの世界タイトル戦につながってもいく物語に、少し盛り込みすぎではないかとさえ感じてしまったのだが、観終わってから、実話がベースになっている作品だと知って、心底驚いた。まさに、事実は小説より奇なり、といったところだ。そうした題材を見つけ出し、丁寧に映画化した石井裕也監督のセンスが際立つ作品である。
過去と現在がかなりめまぐるしく入れ替わる構成であるが、だからといって観ていて混乱することはほぼないし、そうしたかたちでしか描けない心の揺れを表現していると言えよう。しかも、そうした心の揺れは、あわいの時空のなかで生起してくる。深夜から早朝にかけての時間帯がなんどか描かれるが、日常が夜の闇や早朝の淡い光のなかで揺らぐような感覚のなかで、生と死の境界も曖昧となり、それが20年越しのラブレターをたぐりよせる。しかも、舞台となるのが川辺の街であり、朝焼け(あるいは夕焼け)の川の風景が繰り返し映り、夜とも昼ともつかぬ時間へと流れこむ水が、時空の境い目を曖昧にさせる。
そうしたあわいの時空のなかでこそ、この作品のテーマのひとつである継承というか、バトンの引継ぎが浮き彫りになってくる。それがこの作品のよさではあるが、ヒロインのナズナから富久信介の両親への手紙によるバトンの受け渡し、富久信介から川嶋勝重へのボクシングを介したバトンの受け渡しが描かれ、それだけで充分に印象的である以上、さらにナズナから娘へのバトンの受け渡しを強調する必要があったのだろうか。
インタヴューなどを読むと、石井監督は自分の母親の面影をナズナに反映させているようで、やはり家族のテーマを描きたかったのだろうが、ナズナから富久信介の両親へ、富久信介から川嶋勝重へと、家族という枠を超えたバトン・リレーがそれまでおこわれてきたのに、最後にそれを家族の関係性に戻してしまっている。もちろん、家族を描くことが悪いわけではないし、最終的には好みの問題ということにもなるのだろうが、あのあわいの時空を感じさせる風景がどこか色あせてしまうようにも感じられるのだ。
公開中(4月17日封切り)
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