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『シンプル・アクシデント 偶然』

  • 執筆者の写真: 昌親 谷
    昌親 谷
  • 5月12日
  • 読了時間: 3分

 昨年の第78回カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞したジャファル・パナヒ監督の新作は、一種の復習劇だ。かつて、反体制的な言動が原因で投獄され、看守から拷問を受けてその後遺症に苦しむワヒドという男が、あるとき、その看守らしき男を偶然見つけ、拉致して生き埋めにしようとするものの、男は否定し、男が持っていた身分証明書の名前もワヒドが知っている名前とは違う。迷った末に、やはり投獄されて看守から拷問された経験のあるほかの者たちに確かめてもらおうとするが、それでも確信には至らない。

 その結果、単純な復讐劇として展開していかず、迂回に迂回を重ねていく。そうした状況を作り出しているのは、ワヒドたちが投獄されて看守から拷問された際、目隠しをされていたという設定だ。ワヒドが看守だと認識したのは、その男が看守と同じ音を立てて義足で歩いていたからなのである。パナヒ監督自身の体験に加え、やはり投獄されたことがある人たちの話を参考にこの話を考えたということだが、聴覚だけが頼りというなかで、ワヒドたちの迷いや錯綜が生じ、それがドラマとなっている(さらには、独特のラストを生み出している)。

 当然ながら、重たいテーマではあるのだが、ワヒドたちの迷走が独特のユーモアを産み出しもする。看守らしき男を睡眠薬で眠らせてしまい、眼ざめるまで手持ぶさたのまま荒野で待っているシーンで、『ゴドーを待ちながら』について言及があるように、どこか不条理劇的な趣きまで生じてくるのである。

 それでいて、物語の舞台となるのは、冒頭は看守らしき男が乗っている車、そのあとは男を追いかけてワヒドが走らせた車の中やその周辺にかぎられている。もちろん、車だから移動していくわけだが、車中のシーンも多いので、密室劇的でもあるわけだ(ちなみに、ワヒド監督には、全篇をタクシーのなかで撮影した『人生タクシー』という作品もある)。そうしたなか、男が家族を乗せて夜に暗い道で車を走らせている冒頭から、すでに緊張感が生まれ、それが最後まで持続するのである。

 物語の舞台がそのようにかぎられているだけでなく、主要な人物も結局5,6人であり(5,6人だけでありながら、群像劇風になっているところもおもしろい)、映画製作の規模としてはどう見ても小さい。ごく少ない要素で人間の複雑な多面性を描き、重たいテーマを軽やかに撮りあげている。パナヒ監督には、イラン当局から映画製作を禁じられ、それを破れば投獄される危険があるなか、これは映画ではないと言い張って作品を撮ってしまった(『これは映画ではない』)という過去があるが、映画という枠組みをあざ笑いつつ、それでいて映画の原点に遡行するかのような快作である。


映画『シンプル・アクシデント 偶然』公式サイト

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