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『SINSIN AND THE MOUSE』について

  • 執筆者の写真: 昌親 谷
    昌親 谷
  • 4月17日
  • 読了時間: 3分

 今年(2026年)に入ってから、とにかく慌ただしく、試写会にずっと行けないでいた。まだすべて片付いたわけではないが、ひと段落したので、ずいぶん久しぶりに試写会場まで足を運んだ。

 観たのは、真壁幸紀監督の『SINSIN AND THE MOUSE』。吉本ばななの短篇小説が原作で、岸井ゆきの主演、台北でロケしている、といった程度の情報しか入れていない状態で試写会場の座席についた。


 最初に眼についたのは、ロングショットを多用している一方で、どう見てもシャロウフォーカスであること。たとえば冒頭のショットは、台北の公園のベンチに腰かけている岸井ゆきの背中越しに、公園のなかで太極拳かなにかをやっている人びとをとらえたもの。岸井ゆきの自体もかなり小さく映っているので、それなりに離れた場所から撮影しているはずだが、岸井にピントがあった画面の奥で、他の人びとはぼやけて見えることになる。

 もちろん、シャロウフォーカスは撮影現場の光量によっては必然的にそうなることもあるので、必ずしも奇異なことではないが、技術的な進歩によってむしろディープフォーカスが当たり前になり、観客もシャープな映像を求めがちな昨今の状況のなかで、この映画は明らかにシャロウフォーカスをスタイルとして選択していて、そのことが珍しく感じられる。しかも、これまた最近の映画としては珍しくスタンダードサイズであり、その正方形に近い画面のなかで、奥行きを意識した縦の構図がしばしば使われるので、余計にシャロウフォーカスが目立つことになるのだ。そして、原則として人物にピントが合わせられるため、背景の街の風景などはぼやけた感じになるわけだ。

 物語が進むにつれ、こうしたシャロウフォーカスによる街の表現が、ヒロインであるちづみ(岸井ゆきの)の心理状態に関係していることがわかってくる。しかも、この映画のテーマのひとつである「声」(あるいは「音声」)ともからむかたちで、フォーカスの提示の仕方が最後に問題となる。

 ちづみが、台北で出会った男性シンシン(ツェン・ジンホア)と街のなかのさまざまな場所に行く様子をこの映画は見せるのだが、ラストにそうした場所をもう一度ワンショットずつ見せる。ただし人物はいない。だが声は聞こえる(あるいはその場のいろいろな音が聞こえてくる)。いわば人物の映像の代わりに声がその存在を示唆しているわけだが、人物が映らないため、人物のみにピントが合うということがなく、シャロウフォーカスの画面にはならない。むしろディープフォーカス的な映像のなかで音声が響くのである。

 要するに、台北でシンシンと出会ったことでちづみに生じた変化が、映像と音声で表現されているのだ。大きな出来事はなく、その一方で、頻繁に過去のエピソードが現在の描写のなかに紛れ込むということで、万人受けするとは言いいがたい映画だが、その分、非常に味わい深い作品になっている(やや物足りない点があるとすれば、ヒロインのちづみに較べ、シンシンの孤独があまり伝わってこないこと。ちづみの物語なので、仕方がないとも言えるが……)。

 しばらく映画から遠ざかっていたので余計にそう感じるのかもしれないが、地味でありながら、というか、地味であるからこそ、見ごたえのある映画である。

 6月26日より公開予定。

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